浅草をぶらぶら その7~かっぱ橋道具街再び
2014年 03月 04日
昼食が終わってかっぱ橋道具街に移動中です。
カルボでの会計時に気がついたんですが
イディルさんのバッグのこと
従来Verでは、肩掛けは出来ますがクリアランスはぎりぎりだということは書きました。
で
持ち手10cm延長Verになって明らかな違いを発見しました。
このように
肩掛けした状態でも、手が入れられる!
つまり
このように、
すっと財布が肩掛けしたまま取り出せる!
細かいことですがこれは嬉しい!
ますます使い勝手が良くなりました。
会計時もそうですが、電車の改札時、財布にSuicaを入れてるので、いちいちバッグを肩から下ろさなくても、すっと財布を取り出す場面は意外に多い
やはり10cm延長Verのカーゴが私には最強になりそうです。
ということで
かっぱ橋道具街に戻ってきました。
先ほどは、東側のお店を見て回りましたが、今度は反対側の西側のお店を中心にめぐります。
株式会社 丸勝 CRAFT MK
黒を基調とした素敵な食器が
いいですね~
おお
かわええw
ん~
お洒落なティーカップ&ソーサーが安売りしてるのはいいんだけど、肝心のティーポットが無かった~残念
さすが、かっぱ橋道具街
こんなものまで売ってるw
いつ見ても気持ち悪いなwww
かっぱ河太郎はw
東京合羽橋商店街振興組合では、平成15年10月に「合羽橋道具街」が誕生してから90年を迎えるにあたり、これを記念してシンボル像「かっぱ河太郎」を建立し、お披露目いたしました。
「合羽橋道具街」は、明治末期から大正初期に古道具を取り扱う店の集まりから発生し、第二次世界大戦後に主に料理飲食店器具や菓子道具を販売する商店街へと発展しました。現在では、和、洋、中華食器、漆器、和洋菓子機器、厨房設備器具、ショーウインド、和洋家具、店舗装備デザイン施工、サンプル、看板、食料原材料、包装用品等を取り扱う 170店舗強から構成される約 800メートルにも連なる世界でも珍しい専門店街に成長しました。
東京・上野と浅草のほぼ中間地点に位置し、今では下町の気さくな雰囲気と品質の良さと品揃えの豊富さが自慢です。一流ホテル・旅館からご家庭の主婦まで、様々なお客様のご要望にお応えでき、そして楽しくお買い物ができる道具街となりました。
平成15年に 90周年を記念して、日展、日彫展などで数多く受賞されている彫刻家の「西村祐一」先生 並びに工芸作家の「北村真一」先生に制作をご依頼し、現在は暗渠となった道具街通りの下を流れる新堀川などの堀割工事を手伝ったとされる河童伝説に基づいて、台東区のご支援ご協力のもと、道具街中央ポケットパーク再整備を契機に、そこに「かっぱ河太郎像」を建立させていただきました。
この「かっぱ河太郎像」が商売繁盛のご利益あるシンボルとなれるよう道具街一同、願っています~公式より
どうでもいいんだけど
無駄にリアルすぎるんだよなぁこれw
むむ
この地図見ると、近くにまだお寺がたくさんあるようだ
気がついたら立ち寄ってみるかな
ちょっとだけはずれに早速神社発見
矢先稲荷神社
矢先稲荷神社は、台東区松が谷にある神社です。
矢先稲荷神社は、徳川家光が寛永19年(1642)に創建した三十三間堂の守護神として祀られた稲荷大明神を起源とします。
三十三間堂は、元禄11年(1698)の大火後に深川へ移転しましたが、稲荷大明神は当地に残り、三十三間堂(弓矢の練成道場)の由来から、矢先稲荷神社と称したといいます。
浅草七福神のひとつ福禄寿が祀られています。
矢先稲荷神社は、徳川家光が寛永19年(1642)に創建した三十三間堂の守護神として祀られた稲荷大明神を起源とします。
三十三間堂は、元禄11年(1698)の大火後に深川へ移転しましたが、稲荷大明神は当地に残り、三十三間堂(弓矢の練成道場)の由来から、矢先稲荷神社と称したといいます。
寛永十九年(一六四二)十一月二十三日に将軍家光が、当地に浅草三十三間堂を建立したさい、その堂の鎮守として稲荷神を祭ったのをはじまりとし、その神像は、寛永寺の天海僧正の寄進である。
浅草においても通し矢が行なわれ、江戸市民にも観覧が許され、大いに評判になったと伝えられている。
ところが、元禄十一年(一六九八)の大火により、当社は三十三間堂とともに焼失、深川に移転を命ぜられたところ、付近の住民の懇願により当地の産土神として残り、現在にいたっている。(東京都神社名鑑より)
なるほどね
規模はそんなんでもないけど、写真撮りに来てたのは私だけじゃなかったw
若いカメラ女子と軽く談笑
考えることは同じかw
戻ります
持ち手、長いほうだと、充分なゆとりがありますね。
それでは、夏になって薄着になっても、生成りカーゴのほうが
出番が多そうですね。(グレーもかわいがってやってください・・・)