フィギュアスケートファンとして、これだけは知って欲しいこと その2

話が少々脱線しますが、私はフィギュアスケートファンです。


子供のころですね。
きっかけは、母でした。
当時、まだビデオも普及してなかった時代。チャンネル争いなんていう言葉があった時代ですね。
母がフィギュアスケート好き(主に女子)だったため、冬季オリンピックになると、必ずフィギュアスケートを見ることになってました。
まだ子供だったし、正直、嫌々見てましたね~当時はw

で、フィギュアスケートを必ず見ることが当たり前になりつつ数年が経過します。

母はロシア選手(それこそソビエト時代から)のファンでした。
まぁ何年も見ていくうちに、嫌々では無くなってましたね、私も。ってもこのころはまだファンじゃないですw

たしかに、ロシア選手には特別なものを感じるようになりました。
アイスダンス等が顕著ですが、高い芸術性です。



そしてそんな時でした。

私がフィギュアスケートファンになるきっかけとなった人との出会い


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エフゲニー・ヴィクトロヴィチ・プルシェンコ の登場です。

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エフゲニー・ヴィクトロヴィチ・プルシェンコ

(ロシア語: Евгений Викторович Плющенко イヴギェーニイ・ヴィークタラヴィチュ・プリューシンカ、ラテン翻字: Evgeni Viktorovich Plushenko、1982年11月3日 - )は、ロシアの男性元フィギュアスケート選手(男子シングル)。

2002年 ソルトレイクシティオリンピック及び2010年バンクーバーオリンピック銀メダリスト。
2006年 トリノオリンピック金メダリスト。
2014年 ソチオリンピック団体戦金メダリスト。
世界選手権優勝3回、欧州選手権優勝7回。
グランプリファイナル優勝4回。

ロシア連邦功労スポーツマスター。
ロシア人名愛称ではジェーニャ。

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2004年世界選手権まで使用されていた旧採点方法式で満点にあたる「6.0」を最も多く獲得した選手である。
16歳で初めての6.0を出して以来(1998年NHK杯:男子最年少記録)、新採点方式に移行するまでに技術点で5つ、プレゼンテーションで70、計75もの満点を獲得した。

これについては動画でご覧ください
圧巻です。

プルシェンコ 『ニジンスキーに捧ぐ』 2004 RN 芸術点オール6,0



2012年ヨーロッパフィギュアスケート選手権を制したことでカール・シェーファー以来76年ぶりの7度以上ヨーロッパを制した男子シングル選手になった。
またソチオリンピックでの団体戦金メダル獲得によって、ギリス・グラフストロームが1920年~1932年に達成して以来82年ぶり、史上2人目の4つ以上のオリンピックメダルを獲得した男子シングル選手になった。
バンクーバーオリンピックでは金メダルこそ逃し、ディック・バトン以来58年ぶり史上4人目の五輪連覇の夢はかなわなかったが、3シーズンもの休養期間を経て復帰に成功した選手はプルシェンコが初であり、名前のあがったいずれの選手も半世紀以上前に活躍した選手である。

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7歳で初めてのトリプルジャンプを降り、12歳までにアクセルを含む6種類の3回転ジャンプを修得。
初めて4回転を降りたのは14歳で、試合に4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションを入れるようになったのは15歳から。
「4回転からの3連続コンビネーションジャンプ」を武器としていた。

世界で初めてISU公式競技会で4回転トウループ-3回転トウループ-2回転ループのコンビネーションジャンプを成功させ(1999年NHK杯)、現在までにISU公式競技会で20回近くと、最も多くの『4回転からの3連続コンビネーションジャンプ』を成功させた選手である。

世界で初めてISU公式競技会で4回転トウループ-3回転トウループ-3回転ループのコンビネーションジャンプを成功させた選手でもある(2002年ロシア杯、2003年グランプリファイナル第2フリースケーティング、2003年世界フィギュアスケート選手権予選)。
2008年11月現在、彼以外にISU公式競技会でこのコンビネーションを成功させた選手はいない。

世界で初めてISU公式競技会で4回転コンビネーションジャンプを2度成功させた選手でもある(代々木体育館で行われた2000年グランプリファイナル第2フリーにて、4回転トウループ-3回転トウループと4回転トウループ-3回転トウループ-2回転ループ)。
現在、彼以外にISU公式競技会で4回転コンビネーションを2度成功させた選手はいない。

世界で初めてISU公式競技会で3回転アクセル-ハーフループ-3回転フリップと(2002年ソルトレイクシティオリンピック)、4回転トウループ-2回転ループのコンビネーションジャンプを成功させた(2004年グランプリファイナルフリースケーテイング)。

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フィギュアスケートを始めて間もない頃、プルシェンコはテレビでデニス・ビールマンの演技を目にし言葉に出来ないほどの衝撃を受けた。
すぐに専門家から正しい開脚の方法を教わり毎晩母親とストレッチを始め、ビールマンスピンとビールマンスパイラルを修得。一般的に女子より筋肉量が多く体が硬い男子、とりわけシニアでこの技を取り入れたのはプルシェンコが初めてだった。

ドーナツスピンを演技に取り入れた最初の男子選手でもある。
こちらもビールマン同様高い柔軟性を要する技術のためシニアの男子で行う選手は殆どおらず、プルシェンコが先駆者となった。

トリノオリンピックのショートプログラムのサーキュラーステップでは、驚異的な速さと細やかなエッジワークで最高難度のレベル4(GOE加点2.14)を獲得、フリースケーティングのサーキュラーステップでもレベル4を獲得した。

トリノオリンピックにおいてステップでレベル4を獲得した選手はプルシェンコ唯一人、また2005/2006シーズンを通してステップでレベル4を獲得したのもプルシェンコと高橋大輔 だけだった。

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日本でも「皇帝」の異名であまりにも有名
つい先ごろ引退を発表した天才です。

間違いなくフィギュアスケート界で伝説になる人物
何十年に一人の逸材でした。


プルシェンコとの出会いから、私は真剣にフィギュアを見るようになりました。

まさに
「心を奪われた」
その一言です。


Evgeni Plushenko Tosca Sp Olympics Torino 2006



Evgeni Plushenko LP Olympic Games 2006[The Godfather]



2006トリノオリンピックで金メダルに輝いた最高の演技

そしてエキシビジョン

Torino Olympic 2006 Exhibition Evgeni Plushenko Tosca & Encore




プルシェンコという天才の登場は、まさに「電撃」でした。


それから更に数年が経過



2度目の「電撃」が落ちました。

そう

浅田真央の登場です。

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華々しい姿を動画でご覧下さい

このとき、まだ若干15歳です
当時の世界女王 イリーナ・スルツカヤを破り優勝し、その才能を世界に見せた記念すべき日です。

2005 Grand Prix Final FS



浅田 真央(1990年9月25日)は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。
2010年バンクーバーオリンピック銀メダリスト。
2014年ソチオリンピック日本代表。
2008年、2010年世界選手権優勝。
2010年バンクーバーオリンピックでは、女子シングル史上初めて、1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させた。

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アクセルを含む6種類全ての3回転ジャンプを跳ぶことができる。

小学生のうちから3回転アクセルの練習を始め、2003年の中部ブロック大会(ノービスA)で3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションに成功。

2006年世界ジュニア選手権でショートプログラム (SP) に3回転アクセルを取り入れ、2008年GPファイナルのフリースケーティング(フリー)で女子シングル史上初の2度の3回転アクセルに成功。

2010年バンクーバーオリンピックでは、オリンピックの女子シングル史上初めてSPで3回転アクセルを成功させ、SP、フリーと合わせて3度の3回転アクセルを成功させた。
オリンピックの女子シングルで3回転アクセルを成功させたのは、伊藤みどりと浅田の2人だけである。
他の国際大会を含めてもトーニャ・ハーディング、リュドミラ・ネリディナ、中野友加里の3人を加えた5人しかいない。

また、1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させたのも女子シングル史上初であり、ギネス世界記録に認定されている。

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ルッツやサルコウを苦手としている。
ルッツはアウトサイドエッジで踏み切らなければならないとされているところ、インサイドエッジから踏み切る癖があり、2007年のルール改定でエッジ判定が厳格になってからは減点対象となっていた。
同シーズン終了後にはルッツの矯正に取り組み、2008年NHK杯では正確なエッジからの踏み切りと判定された。
しかし、苦手意識はぬぐえておらず、その後も3回転ルッツが2回転になるなどの失敗が重なったため、2009-2010シーズンにはプログラムから外した。
6種類全てのジャンプの矯正に取り組み始めた2010-2011シーズンからは再びプログラムに取り入れているが、再び間違った踏み切りとして減点を受けるようになった。
サルコウについては、2008-2009シーズンまで長い間プログラムに取り入れていなかった。
2008年NHK杯では、久々に3回転サルコウに成功したが、その後の試合でも不安定なことが多く、3回転サルコウに挑まないケースが多かった。
2010-2011、2011-2012シーズンでは全ての試合で3回転サルコウを取り入れたものの、完璧な成功はそれぞれ、1回だけにとどまっている。
2012-2013シーズンには3回成功し、世界選手権では質においても申し分のないものであった。


ここの文章はかなり重要です。


度重なるルール改定


これが何を意味するものなのか?
これを後ほど詳しく説明しなければなりません


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ループは得意で全てのプログラムで必ず取り入れられている。コンビネーションジャンプにも使われ、演技後半の1.1倍加点を得ることも多い。
3回転-3回転のコンビネーションジャンプは3回転フリップ-3回転ループを得意とし、数々の試合で成功させている。
2007年GPファイナルのフリーでは3回転フリップ-3回転ループ、3回転フリップ-3回転トウループの2種類で成功させた。
しかし、2008-2009シーズン以降は成功率が下がっており、2009-2010シーズンからはプログラムから外し続けていたが、2013年四大陸選手権では成功はならなかったものの、久々にプログラムに取り入れている。
2回転アクセル-3回転トウループは2012-2013年シーズンは3回成功し、世界選手権ではクリーンな着氷をみせている。

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現行採点では評価のウエイトが大きい柔軟性を生かしたスピンやステップ、スパイラルを行うことができ、高いGOEを獲得することができる。
片手ビールマンスピンを行うこともできるがレベル認定の規定の二回転を行う前に体勢が崩れてしまい、レベルを取りこぼすことも多く2007年世界選手権以来しばらくプログラムに取り入れていなかったが、2009年エリック・ボンパール杯からフリーで用いている。

ステップシークエンスのレベル4を獲得した数少ない女子選手の1人でもある。

2011年ロステレコム杯のフリープログラムでは全てのスピン・ステップで最高評価のレベル4を獲得している。

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ちなみにですが、私は母ゆずりなのでロシアびいきです。
そして、今でも私はプルシェンコの熱烈なファンです。
ですが、私は別に浅田真央のファンではありません。


浅田真央は、天才です。
プルシェンコと同様に永遠に語り継がれる人物です。
それだけは間違いの無い事実です。


「え?この程度の戦績なのに?」
「すごいのはキムヨナだろ?」



なんて言ってる人、いそうですよね。いえ、居ますよね。


冗談は顔だけにしてください
スケート経験者やスケートファンの間では、浅田真央が天才なんて
常識中の常識です。

浅田真央とキムヨナは同列ですらありません。
圧倒的に浅田真央のほうが格上も上です。
それどころか、
キムヨナ以上の選手なんて山ほどいます。
キムヨナが2010バンクーバー金メダリスト?2014ソチ銀メダリスト?
認めませんよ。



それを裏付ける資料や動画は山ほどあります。

続きましては、それを細かく紹介させていただきます。



フィギュアスケートファンとして、これだけは知って欲しいこと その3へ続く

by maryrequiem | 2014-02-24 00:02 | その他 | Comments(2)

Commented at 2014-02-22 01:28
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by maryrequiem at 2014-02-22 01:59
鍵コメさんこんばんわ!
ここでこのように紹介できるのも、あなたも含め、私、そして日本中、いや世界中にいる有志の方々がいればこそです。

真実を報道しないマスコミ

ネット全盛の時代だからこそ、おこせたアクションなんだと思います。