鎌倉 御霊神社~健康になる。だから鎌倉 その7
2013年 08月 18日
海から退散して
鎌倉名物夫婦饅頭 力餅家
江戸時代の元禄年間(1688〜1703年)に創業し、300年以上の歴史があるお店らしいですよ。すげぇぇぇ
力餅家さんの前を海と反対方向にちょっと進めば
鎌倉 御霊神社です。
ここ、
江ノ電の線路沿いにあるんですよね。
てっちゃん定番のスポットかとw
権五郎神社の創建年代は詳らかではないが、御霊信仰思想の広がりと鎌倉氏による地方開発の展開を考慮すると、平安時代後期であると推定することができる。もとは関東平氏五家の始祖、すなわち鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社であったとされ、五霊から転じて御霊神社と通称されるようになった。後に、鎌倉権五郎景政の一柱のみに祭神は集約され、祭神の名から権五郎神社と呼ばれた。
鎌倉景政は、平安時代後期の関東平氏の一族であり、鎌倉・梶原・村岡・長尾・大庭の5氏とともに鎌倉武士団を率い、現在の湘南地方一帯の地方開発に従事した。景政はまた、その武勇をもって知られ、16歳の時、源義家の陣営に連なって後三年の役(1083年-1087年)に従軍して活躍した際のエピソードがよく知られている。『奥州後三年記』の伝えるところによれば、景政は左目を敵に射られながらも屈することなく、射手を倒し帰還した。左目に突き刺さった矢を抜こうと、一人の武士が景政の顔に足をかけたところ、景政はその非礼を叱責したと言う。かかる伝承から、志の成就(学業成就、必勝招来)の神徳があるとされる。また、林羅山の考定によれば眼病平癒にも効験があるとされる(『本朝神社考』)。~wikiより
なるほど~
鎌倉権五郎景政の弓立の松
鎌倉権五郎景政が領地を見廻る際に弓を立てかけたと伝わる松。
景政は鎌倉・藤沢・茅ヶ崎にまたがる大庭の地を開拓し伊勢大神宮に寄進した。
タイミングがあえば
こんな感じで江ノ電と一緒の写真が撮れますw
ここって、すごい小さな神社なんですが、
ここにくると必ず、地元の人がウォーキング、ランニングしながら手を合わせにくるのを見かけるんですよね。
観光客はかなり少なめ
あまり知られてないのかな?
いつ来ても貸切みたいにゆっくり写真がとれる大好きな場所ですw
移動します
*鎌倉 長谷寺~健康になる。だから鎌倉 その8へつづく*
力餅 食べましたか??何度も通過しているのに私はまだです
健康的でいいですよね~歩くって。 真似できません・・・
力餅家さんまだなんですよw
次回の鎌倉で行くことにしますw
御霊神社行く時に前を毎回通ってるんですがねぇ
歩くのは健康的ですが、正直、真夏にやるもんじゃないですわw
それについては後々w